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第1回―旅立つ前に―

 カンボジアという国のイメージを思いつくままに思い描いてみる。
アンコールワット、アンコールトム、タプ・ローム、クメール王朝、ベトナム戦争、ポルポトの大虐殺、キリングフィールド、人身売買が多い国、戦場カメラマンだった一ノ瀬泰造などなど。
その一ノ瀬泰造がカンボジアで行方不明になったという、30年以上も前の新聞記事は、いまでも記憶のなかで生きつづけている。
泰造は、クメール・ルージュが占拠していたアンコールワットに潜入しようとして、行方を絶ち、それから9年後に遺骨が発見された。アンコールワットから東にいったプルダック村に埋められていたのだ。一ノ瀬泰造の作品「地雷を踏んだらサヨウナラ」が、数年前に新装丁で出版され、テレビドラマや映画にもなった。
そのころに佐賀県武雄市にある泰造の実家を訪ねた。こんなに多くの人たちに知られる前からのファンとして、いちどは行ってみたかったから。子どもの頃に泰造が遊んだ町をぶらつき、近くにあるクスノキの巨木を仰ぎ見ながら泰造を偲んだ後、訪ねていった家では母上の信子さんが待っていてくれた。かれこれ2時間ほどお茶を飲みながらの話の中で、信子さんは「泰造を知らない若い人たちが、ときどき訪ねてくるんです」といった。
そんな若者たちに、息子のことを話してあげているという。「なにに惹かれるんでしょうかねえ」そんなことを話しながら、たくさんの写真をみせてもらう。
ベトナムやカンボジアの戦場をとりまくったカメラマンが、実はいちばんの被写体だったのではなかろうか。残された写真をみて感じたのは、そのことだった。
あのときに入院していた泰造の父上は、それからまもなく息子のところへ旅立っていった。
私にとってのカンボジアは、1人のカメラマンの生き様と、30年以上も息子と共に生きつつけてきた信子さんという女性の生き様だ。いつかはカンボジアを訪れよう、泰造が眠るブラダック村に行こう、そう思いながら何年もたってしまった。
そのカンボジアに行くことが急に決まったのは2004年の12月。取材を通して知り合った「国境なき子どもたち」というNGOが取り組むカンボジアへの旅だった。
国境なき子どもたちは、フィリピン、ベトナム、カンボジアで15歳からの子どもたちを自立支援する「若者の家」を運営している。年末の忙しさのなかバタバタと準備をして旅立ったのは1月7日。新しい年が始 まっていたが、世間はまだ正月気分がぬけきれていない。
そんな平和な国に生きる女性4人が熱帯の国カンボジアを目指して、10時過ぎに日本を離れた。

第2回―プノンペン その1―

 プノンペンにある空港に着いたのは、1月7日の夜七時過ぎだった。
タイのバンコクから一時間のフライト。暮れなずむアジアの農村風景を眼下にながめながら、カンボジアという国への長年の想いが走馬灯のようにかけめぐる。 飛行機の小窓からみえる風景は、おもいがけなく深い意味を訴えてくることがある。太平洋の真っ只中に浮かんだコバルトブルーの指輪のような環礁は、水爆実験の場になったムルロア環礁を思い起こさせたし、フィリピン上空からみえた禿山になって侵食がはげしい島々は、壊されていく地球そのものだった。それらにくらべてタイの風景はのどかそのものにみえたが、実はエイズや人身売買などの深刻な問題をかかえているのだ。そんなことを考えない気楽な旅を楽しめればいいだが……。  さまざまな思いをいだきながら、カンボジアの地に降り立ったのだった。
プノンペンにあるポチェントン国際空港を一歩出たとたん、あまりの暗さに一瞬ドキッとしてしまった。都会というものは明るいと思いこんでいる者には、この異様な暗さに目がなれるまで少しの時間が必要だ。
インドネシアのいなかの町でみた光景が思いだされた。昼間、みんな家の外にある椅子に腰掛けて、編み物をしたりお茶を飲んだりしていた。家の中は暗い。最初は電気もない暮らしをしているのかと思い、しばらくして、外にいることのほうが合理的なのだと考え直した。太陽の光は明るくしかも無料だし、電気の明かりでは老眼鏡をかけないと読めない字が、太陽の下ではなんなく読める。
昼間は、外で暮らすほうが省エネになるし、目にもいいのだ。
そんな光景をながめて、あらためて昼も夜も電気の下で暮らしている生活を振り返ったのだが、実践は難しいだろうとあきらめてしまう自分が情けなかった。 もっとも、これは途上国にいくたび、どこでも感じるのだが……。
プノンペンの道路は車よりバイクが多い。交通ルールなど無視したバイクがひしめきあって走っている。それも二人乗りはまだしも三人、なかには家族連れだろうか四人もくっつきあって乗っているのだ。道の端には屋台がたちならび、そこには人が群がっている。広い道路に信号はなさそうで、街の明かりもぼんやりとしていて、電球にたとえるなら40ワットくらいの明るしかない。 これがカンボジアの首都プノンペンだった。
私の旅は国の首都には縁がない。
行ったとしても地方に行くための通過地点で、目的地であったことは一度もない。インドネシアのジャカルタは車で走りぬけただけ、マレーシアのクアラルンプールは乗り継ぎ便待ちのトランジット、パキスタンはイスラマバードに一日いただけ、七回ほどは訪れている北京だけはよく歩いたが、まあそんな具合だ。 今回の主な目的地も、プノンペンから北西に向かって車で半日かかるバッタンバンという地方都市だが、二日間はプノンペンには滞在することになっていた。
シアヌーク殿下がいるという王宮も博物館もみないで、首都のゴミ集積場を視察し、若者の家の青年たちを訪ねるのだ。


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