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第2回―プノンペン その2―

市の中心部からほんの少し離れた場所に、巨大なゴミ山がある。
まるで露天掘りした石炭の採掘跡にゴミを埋めて丘のように盛り上がった、それがゴミ山だった。生ゴミも紙もビニールもペットボトルも、分別されていない廃棄物の終着場。その中には医療廃棄物などの危険物も混じっているに違いない。
鼻をつく異臭を口呼吸でがまんする。用意してきたマスクは、清潔な環境があたりまえの自分をさらけだすようでリュックに入れたまま、飛び回る無数の小さな虫が、虫除けを塗った足まで刺すようでチクチクする。
ゴミ山にはたくさんの人たちが働いていた。大人も子どもも、金になる物をひろって生活している。ゴミ収集車が着くたびに大勢の人がトラックの周りに群がる。車によじ登る子どもたちもいる。体より大きな袋をかついでゴミをひろい歩く子ども、裸足で遊んでいる5歳くらいの子ども、やたらに子どもの姿が目につく。
ゴミ山は街のようでもある。トラックが往来する道ができ、人が通る道もある。屋台の食べ物屋もあって立ち食いしている人がいる。仲買人の太ったおばさんが座って焼きそばを食べている。そこにゴミの袋をもった子どもが来ると、面倒くさそうにわずかなお金をを渡す。近くには金になるゴミを満載したトラックが停まっている。このトラックは国境を越えてベトナムに行くそうだ。 どうみてもゴミの上にできた街だ。
その街からは自然発火したメタンガスの煙が立ち上り、それは霧のようにゴミ山を蔽って、遠くに見える市街地の高層ビルもぼんやりと霞み、幻想的な光景に見えるのだ。
同行したNGOの人は、毎日見回っては子どもたちに学校に行くよう説得しているということだ。
ゴミ山を降りたところに、地元NGOが運営する小さな学校があった。子どもたちは、午前中1時間だけ勉強できる。この1時間が、ゴミ山で生きる子どもたちが教育を受けられる唯一の機会なのだ。 そこで知り合った男の子は、勉強が終わったあと床屋で修業し、午後の2時から10時までをゴミ山で働く毎日だという。男の子の父親は地雷で片足をなくしていて働くことができない。カンボジアという国は、この子どもたちにまだ手を差し伸べることができないでいる。 街に戻ってから、プノンペン若者の家を訪問した。
大通りから路地を入った奥のアパートに5人の若者たちが暮らしている。
リッティ、カカダ、バンナ、ソコン、ソクドルは17歳から23歳の若者たちで、高校や大学で勉強したり、職業訓練を受けたりしている。 人なつこい笑顔で出迎えてくれた若者たちと一緒に、街に出る。
若者の家を卒業して、カンボジアの伝統工芸の仕事についた青年の仕事場に行った。
仏像を彫り上げる彫刻師たちの中に、真剣にノミで木を削っている彼の姿があった。このような特殊技術は、きっと一生の仕事になるに違いない。
5人の若者たちも将来に夢をもっているはずだが、首都プノンペンは、そんな若者たちの夢が実現できる街なのだろうか。
明日は、バッタンバンに向かって5、6時間の旅になる。


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