一月末から二月にかけてタイに出かけた。
以前、地雷を踏んだモータラというゾウが、義足をつけてもらったというニュースを知ってから、ぜひ、そのゾウに会いたくなったのだ。
何事によらず、強く関心をもってしまうと、「会いたい、出かけたい、見たい、感じたい」の三要素がむくむくと顔をだしはじめ、そうなると、もう抑えきれなくなる。あとはお金と時間の都合だけ。
人に言うと「取材?」そう聞かれるが、仕事に結びつくかどうかは、結果でしかない。
まだ二十代の友人に野生動物の保護活動をしている人がいる。闇雲に出かけるわけにもいかないから、相談すると、国立のゾウ保護センターがあり、そこでゾウ使いのトレーニングを受けられるという。センターから更に奥の山中には老ゾウホーム(?)もあって、そこにも行けるようにしてあげるという。願ってもない話だ。そこで友人を伴ってタイに出かけることにしたのだった。
ちょうどタイは乾季の終わりで、まだしのぎやすい季節、快適な旅になりそうだった。
チェンマイに滞在中、直前に取材を申し込んでおいたバーンロムサイを訪問する。
そこは名取美和という日本人が運営しているHIV/エイズ孤児の施設だ。両親をエイズで亡くし自分たちも母子感染した三十人の子どもたちが暮らしている。バーンロムサイはタイ語で「ガジュマルの木の下の家」という意味。街から離れたナンプレー村という農村にあって、タクシーで三十分はかかる。
たくさんの樹木に囲まれた施設には、ロッジ風のいくつかの建物があった。かすかに村の音がとどいているが、静寂感あふれる空間からは、エイズの脅威などは微塵も感じられない。
だが、そこにいる子どもたちの現実は、あまりにも厳しい。
一九九九年にに開設してしばらくは次々に子どもたちが亡くなったという。
でも、イタリアのアパレルメーカーであるジョルジオ・アルマーニ・ジャパン支社や多くの支援の輪が広がって、抗HIV療法が受けられるようになった。それまでの名取さんたちスタッフが経験した苦労や悲しみは察するにあまりあるが、
「そのころは死ぬための家でしたが、いまは生きる希望の家になりつつあります」 そういう名取さんの顔は明るい。
バーンロムサイは、単なる孤児院という施設ではなく「大きな家族のホーム」を目指している。子どもたちが将来自立できるよう、染色や織物、縫製の技術を教えている。食べる米を自分たちで作ろうと、カレン族の村と協力して米作りもしているという。
バーンロムサイにきてよかった、名取さんや子どもたちに会って、感じたことを、これから自分がどう受け止め、生きることに繋げるのか、いつも考えていこうと思う。
チェンマイのホテルで偶然みてしまったことも含めて……。
午後、ロビーにいたときのことだ。五,六人の日本人男性グループがいた。目をひいたのは、そのうちの一人の格好だった。頭に捻りタオルを巻いて、だぼだぼのズボンをはき、上着はふうてんの寅さん風、白ずくめの異様な風体だ。大声で話していたから思わず目で追っていたのだが、彼らのそばにはタイ人の若い女性がぴったりと寄り添い、そして一組ずつ連れ立ってホテルの奥へときえていったのだ。なんということはない買春ツアーの男たちだ。 次の日、こんどは二人連れの背広を着た日本人の男たちが、同じことをしていた。
場末のホテルではない。名の通ったホテルに買春をする男たちが、堂々と振舞ってまかり通っている。その男たちに何もできない自分が情けなく、日本人である自分が情けなく……バーンロムサイの庭で、自転車に乗りながら笑いかけてきた子の顔が、頭のなかで泣き顔に変わっていった。
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