環境の部屋
【環境問題のニュースをとりあげてきたこの部屋は、これから、日常の暮らしから感じとるさまざまな事柄を私なりの視点で書いていくことにします】

タイ・ランパーンにて―象使い入門 2006.6.4
   アジアゾウが生息しているのは、インド・タイ・インドネシアなど広範囲に渡るが、その数は激減していて絶滅が危惧されている。
 三年前インドネシアのスマトラ島で、はじめてゾウに乗った。勿論、観光客が乗る籠付きのゾウではなく、裸の背中に乗るものだ。ただしそのときは、前にゾウ使いが乗っていて、私は両手を精一杯伸ばして彼の肩につかまることができた。それだけで安心感があって二日間、二時間ほどのトレッキングを楽しんだ。
 かつてフタコブラクダに乗って一か月近く砂漠を旅をしたことがある。モンゴル馬に乗って草原をトレッキングしたこともある。馬よりラクダのほうが高く、ゾウはラクダよりさらに高く、ラクダはコブにつかまることができたが、ゾウにはつかまるところがない。
  そんなことをしていると、なんだか命がけで生きもの達と付き合っているようにも思えるが、面白さのほうが先にたって恐怖を感じたりはしないから不思議なものだ。
今回はただ乗るだけではなく、「ゾウ使い」のトレーニングに参加したのだった。
 チェンマイから車を飛ばして二時間、山岳地帯に近い町の一画にある国立のゾウ保護センターは広大な森の中にあった。この中のコテージに滞在、といっても高床式熱帯ロッジなのだが、そこに泊まり、食事はゾウ使いの家族が作るタイ家庭料理を食べる、そんなプログラムだ。
 さてトレーニングに参加したのはイギリス、オランダ、カナダ、アメリカそして日本からの私達の八人。渡されたのはタイ語で書かれた訓練用語で、まずはそれから覚えなければならない。同時に支給されたのは、藍で染めた上下の服。下はフィッシャーマンパンツといわれるだぼだぼのパンツで、紐で結ぶものだ。全員が着て集まると、なんとなくそれらしく見えてくる。
私が乗るのはソムチャイという六歳の若いゾウだ。
 見回してみると西洋人たちには大きなゾウが割り当てられている。体格をみてのゾウ使いの判断のようだ。そういえば、ラクダのときも、だれがどのラクダに乗るのかを決めるのはラクダ使いで、私達には選ぶ権利がなかった。
 こんどもそうだったが、ソムチャイはとても魅力的なゾウで、数年訓練されたあとはチェンライの町だかで働くという。
 日課は夕方、ゾウたちが夜を過ごす森に連れて行く。朝は夜明け前に起きて、ゾウに食べさせるサトウキビを一本、杖代わりにもって小一時間ほど森まで歩いて迎えに行く。午前中は訓練で「お座り」「横になれ」「鼻先に落としたゾウ使いの道具を拾わせる」「ゾウから降りる」などの動作をタイ語で教える。午後はセンター内にあるゾウ病院を見学したり、ゾウの糞で紙漉きの作業をしたり、結構忙しいのだ。
スマトラではゾウ使いが一緒に乗ってくれたが、私についたゾウ使いは、最初から乗ってくれなかった。
 ソムチャイの首のところに座って、両手でを押さえてバランスをとるしかない。ソムチャイの頭にはちょぼちょぼと五センチくらいの毛が生えているだけだから、いざというときに掴まるところなんてどこにもない。高所恐怖症なのに、どうしてゾウに乗るなんて思ってしまったのだろう。だが、そんなこと今更言っても始まらず、あとは、落ちたら落ちたまでさと開き直るだけ。
 おぼつかないタイ語でトレーニングをしたあとは、いよいよ森までのトレッキング開始。他の人たちにはゾウ使いが一緒に乗ったのに、西洋風にジャックと呼ばれている私についたゾウ使いは、鼻歌をうたいながらソムチャイの先に立って歩いていく。私は、伸ばした手をソムチャイの頭に乗せて、覚えたてのタイ語で「ゴーイ ゴーイ!」とソムチャイに声をかける。「ゴーイ」は「ゆっくり」という意味で、他の人たちも「ゴーイ」とどなっている。
 森までの道は、アップダウンのある岩場をぬけてから、比較的平らな山道を進み、ゾウの墓場を眺めながら、沼に入って向こう岸にたどり着き、また山道を進むのだが、水場だけは、もし落ちると危ないからか、ジャックが後ろに乗ってくれた。
 ゾウたちの首には、幾重にも長くて太い鎖がぶらさがっている。鎖につながれて森の夜を過ごすのだが、お互いがニアミスしないように距離を考えて離されるから、鎖は長いものになるのだ。この鎖の上に私が座っているわけで、お尻が痛くてたまらないが、我慢するしかない。
 ゾウの座り方というのは、足を折り曲げて耳の上で座るという。でも、そうすると更に高くなり、安定感がなくなりそうで、怖くてできない。馬に乗るように足を下げていると、それはそれで体の血の全部が足に鬱血してしまうようで、だるくなってくるのだが、それも我慢、ひたすら我慢が求められている。
 ゾウを森に放して帰ってくると、あとの楽しみは夕食しかない。料理が大好きな私は、さっそくゾウ使いのおかみさんたちに混じって、にんにくをすり潰したり野菜を切ったり手伝ったが、そんな物好きはいないらしくみんなコテージにこもったままだ。
 それにしても、トレーニング仲間たちの旅は長いようで、イギリス人の女性は半年も休暇をとって一人旅をしているのだという。旅の途中の数日をゾウと付き合って、それからどうするのだろう。ほんの一時の出会いだったが、特異な体験をした仲間の顔はおたがいに記憶しあって、ひょっとしたら、また世界のどこかで再会したときに、そのときには笑って挨拶ができるような気がする……。
 ソムチャイの耳の後ろで足を組んで座れたのは、2日目に入ってからだ。気がついたらそうなっていたという感じだったのだが、体の緊張感がぬけてリラックス状態にはいったのがわかる。
 そうなると、周りの風景を眺めるゆとりもでき、ソムチャイの体温を体で感じながら、「私はゾウ使いになれるかも」なんて自信がわいてきたのだ。
最後の日にゾウのショーを見にきた観光客の前で、トレーニングの成果を発表。めでたくアマチュアのゾウ使い認定証をいただくことができた。  今回のような経験は、だれでもできるものではないかもしれない。もしもゾウから落ちてしまったら、無事ではすまないだろう。滞在中に、ゾウを訓練していたゾウ使いが落ちたことがあった。彼は骨折で済んだらしいが、素人はそうはいくまい。そんな危険をおかしてまでやることかといわれそうだが、「乗りたかったから」と答えるしかない。また機会があればいってみたい。


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