エッセイの部屋
 
環境新聞「地球タイムス」連載

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 この星に生けるものたち
     アジア編 第一回

   
 ユキヒョウ

 年明け早々にいやなニュ―スを知った。
 アフガニスタンでの出来事である。絶滅が心配されるユキヒョウの毛皮が、カブ―ルの店で売られているというのだ。
 買い手は、復興支援で訪れた欧米の援助スタッフや、国際治安支援部隊の兵士だという。未加工の毛皮は一枚二十万円前後で、タリバン政権崩壊後に訪れるたくさんの外国人を目当てに急増しているのだそうだ。
 ジャララバ―ドの市場では、ユキヒョウの骸骨が売られているという話もきいた。
 十年前、中央アジアのオアシスの市場で、毛皮が売られているのをみた。あのときは、ユキヒョウが人間の商売道具になっていることが信じられなくて、偽物だと思った。
 ユキヒョウは、人間のまえにはめったに現われない、いわば幻の動物だ。チベット高原やパミ―ル高原、天山山脈、ヒンドゥ―クシュ山脈など、世界でも最も人の手のとどかない、標高の高い山岳地帯にすんでいる。
 ユキヒョウの姿は美しい。白っぽい灰色の毛皮に黒い斑点模様、太くて丸みのある体長の半分もあるしっぽ、寒さに耐えるための毛が厚い肉球にまで生えている。
 この姿で高山の崖や岩場を走りまわって、アイベックなどの獲物を狩る。十五メ―トルも跳躍するらしい。
 ユキヒョウは、国際条約でも保護が義務づけられている絶滅危惧動物だ。
 生息地からいっても個体数の把握はむずかしいが、三五〇〇とも五〇〇〇〜七〇〇〇ともいわれている。広大な生息範囲からすると、この数はあまりにも少ない。
 ヒンドゥ―クシュ山脈のあるアフガニスタンでは、一〇〇頭以下だと推定されている。
漢方薬市場では、トラにかわって、ユキヒョウなど野生ネコ科動物の骨が、売買されるようになっているということだ。
二十世紀の初めには十万頭もいたトラは、いま数千頭しかいない。トラ全体をあわせてもユキヒョウより少ないか、同じ程度の数だ。
トラが規制の強化などで手に入らなくなったから、こんどは野生ネコ科の動物を薬の原料にするというのか。
五年前、日本に初めてユキヒョウの毛皮が持ち込まれようとしたのが発覚した。
アフガニスタンで、国際治安支援部隊の兵士は「国際買い歩き部隊」といわれて歓迎されているということだ。



この星に生けるものたち
      アジア編 第2回
   
ツシマヤマネコ

 長崎県対馬といえば、東シナ海に浮かぶ韓国にいちばん近い国境の島。上対馬町には韓国展望所というのがあって、よく晴れた空気の澄んだ日には、肉眼でも釜山港の建物がみえるという。
 歴史の舞台としても、対馬はよく登場する。かつて、百済や新羅の国々と行き来する古代人が立ち寄ったし、元のフビライハーンの軍隊が、さいしょに上陸したのもこの島だ。江戸時代、朝鮮通信使という外交団の華やかな一行も、対馬で骨を休めたにちがいない。
 そんな島に、最も絶滅の恐れが高い、ツシマヤマネコという野生のネコが生息している。
 ツシマヤマネコは約十万年前に、そのころ陸続きだった中国大陸から渡ってきたといわれる。ベンガルヤマネコの亜種だそうだ。
 家ネコと同じくらいの大きさで、胴長短足、耳の後ろに白い斑点がある。島の人たちは「トラヤマ」と呼んで、ながいあいだ共に生きてきた。田んぼや畑のある人里周辺が生息場所だから、人びとの目にはふれていたらしい。
 南北80キロの対馬だけにいるツシマヤマネコは、四十年前には三〇〇頭はいたとされるが、現在たった七〇から九〇頭くらいしかいない。沖縄県西表島のイリオモテヤマネコより危機的状況にある。
 ヤマネコが減ってきた原因には、人と山のかかわり方の変化がいわれている。対馬では長いあいだ、雑穀の焼き畑が行われていた。雑穀はヤマネコが捕食するネズミの餌にもなっていた。ところが高度成長期になってスギの植林が進み、林道がはりめぐらされ、ネコが生きていける環境が壊されていった。交通事故やワナにかかって死ぬものも多い。
 いま島では、環境調和型の「ヤマネコにやさしい」農地整備を模索しているという。環境省も餌となる小動物を増やそうとはじめた(焼き畑)のモデル事業を数ヶ所に広げるとのことだ。
 上県町役場もこの春から、商工観光班を「やまねこ班」に衣替えするという。ツシマヤマネコとの共生に取り組む、人びとの思いが形になろうとしている。
 対馬は夫の母方の故郷である。まだ行ったことはないが、親戚からおいしい海産物が届くたびに、故郷の話がはずんだ。その義母ももういない。ツシマヤマネコを絶滅から守ろうと立ちあがった島に、いつか訪れようと思っている。


 

 この星に生けるものたち
        アジア編 第3回
     
 スマトラトラ


 半年前、スマトラトラの保護活動に参加した。アジア産野生生物保全協会のプロジェクトで、併せて獣医学部の学生たちに健康チェックの診療をさせるものだ。場所はインドネシア・ジャワ島のタマンサファリ動物園。園の一画に保護されたトラが飼われている。その場所は、一般人が入ることができない奥にあった。
 スマトラ島は、一九九六年に大規模の森林火災が発生し一年も燃えつづけた。たくさんの野生の生きものたちの命が消えていった。
 その火災で運良く救助されたトラたちと対面したわけだが、吹き矢で麻酔をされて眠ったトラの体重を量り、体全体のチェックを短時間にすばやくしなければならない。ぐずぐずしていたら麻酔が切れてしまう。
 二十歳前後の若者たちの姿は真剣そのものだった。素人の私はそばでみているだけだったが、合間をみてさわらせてもらった巨大な足の肉球の感触が、忘れられない。
 このスマトラトラが棲息しているスマトラ島のウェイキャンバス国立公園に、廃墟同然のトラ保護研究センターがあった。なんでもアメリカのどこかが資金をだして運営していたそうだが、数年前に引き揚げてしまい、それ以来ほったらかしになっている。金の切れ目が縁の切れ目という実態を、目の当たりに見た思いがした。
 トラはかつて熱帯雨林からロシア沿海州の針葉樹林まで棲息していた、アジアの森の王者だった。百年前までは十万頭いたとされるが、カスピトラ、ジャワトラ、バリトラが絶滅し、いまではアムールトラ、アモイトラ、インドシナトラ、ベンガルトラ、スマトラトラを併せても七千頭以下だという。
 なかでもスマトラトラは、絶滅危惧種より絶滅寸前種だ。
 インドネシア政府は他の地域からのスマトラ島移住政策をとった。その結果、開発が進み森は破壊され、密猟も加わり、一九八五年には千頭近くいたのが、わずか十数年で半減してしまった。
 島をおおった森林火災が、さらにトラを追い詰め、人里にでたトラは殺された。、怪我を負ったトラは救護センターに収容されたが、いくらリハビリをしても森に帰ることはできないという。檻の前で一時間、ブギットと名づけられたトラと向き合いながら、話しかけていた。ブギットも、帰る場所がないのだ。
             
「この星に生けるものたち」は現在も連載中です。



「俳句十代」巻頭エッセイ
     
 森の人

 いま、わたしのなかにオランウータンという、熱帯の生きものがすみついている。
 五年前、大阪のペットショップで、子どものオランウータン四頭が売られているのがみつかった。インドネシアのカリマン島から密輸されてきたものだ。
保護されたときには、顔にカビがはえ、ストレスで下痢になるほど弱っていたという。
野生動物の輸入大国といわれる日本には、数年で一万近くの個体が税関で発見されているが、ほとんどが死んでしまったり、動物園に保護されたりで、返還されたケースはないといわれる。
神戸市の動物園にあずけられた、オランウータンの子どもたちが、故郷に帰れたのは翌年の二月。研究者や市民団体が、「種の保存法」に基づき、返還運動をした結果だった
 オランウータンは、かつては東南アジア一帯に生息していた。いまは、ボルネオ・カリマンタン島とスマトラ島北部にいるだけで、二〇一〇年には絶滅が心配されるほど激減している。
 人目につかない熱帯雨林の樹上で暮らすオランウータンは、マレー語でオラン(人)ウタン(森)、つまり森の人という意味だ。森の果物や木の皮や、シロアリを食べ、森のことを何でも知っているから、森の哲学者、森の植物学者という人もいる。
 その神秘的な魅力からだろうか、性格がおだやかなこともあって、インドネシアの動物闇市場では、一頭約五万ルピア(約八百円あまり)で売買されている。
 密猟者は、森深く分け入り、母親を殺して子どもを奪う。オランウータンの子どもは、生まれて六年は母親とかたときも離れないで、生き方をおそわる。母親を殺されれば、子どもは森で生きることができない。
この二十年間に、熱帯雨林はものすごい勢いで失われている。切られた森の木の行き先は、日本だ。
わたしたちは、熱帯産の材木をなにに使っているのだろう。インターネットで調べてみたら、ボルネオのサラワクだけで五十種類もの原木が輸入されていた。シナモン、ケンパス、ドリアンなどで、用途の多くは合板材だが、家具や楽器、マッチ軸、箱材にもなっている。
丸太輸出は全面禁止になったといわれるが、いまも木材を満載した、トラックが走り船が川をくだっている。経済活性化のために、「ボルネオ横断鉄道」も建設されるという。主な乗客は、石油や石炭、ガスなどの天然資源らしい。
そうなれば、また森が壊される。生きものたちは生きていけなくなる。わたしたちも同じ生きものなのに、世界中の森を壊しつづけている。
地球にやさしくといいながら……暮らしもなかなか変えられない。
「森の人」の目で、地球をみてみよう。


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